武蔵の剣法

宮本武蔵の二天一流を実戦技法の見地から
剣究してみようと思う。
二輪の剣理は調息法でもある


地の剣理
両刀を両脇下から、ゆっくりと地の気を吸い上げる
ように持ち上げる(吸息)
内円に息を吐きながら降ろすと両円になる。


水の剣理
両刀を左右脇から内に胸前交差する(吸)
左右に吐息して流し斬る


火の剣理
火火山のイメージで下から交差切り上げ(吸)
下へ交差して斬り流す(吐)


風の剣理
遠く続く道をイメージして風が下から吹き上がり
(吸)背中から
通り抜けるように両刀を切っ先返しに
前方に投げ斬る(吐)


空の剣理
宇宙をイメージして下から内円に大きく
両円を描きながら(吸)広げ、ゆっくりと
両脇から足元に交差する(吐)


巻の剣理
両刀を胸前に八の字に構え突き
合わすにように交差して十字を組む(吸)
ゆっくりと下段に結びを解き降ろす(吐)
武蔵の肖像にあるような下段構えで
調息を終える
***
以上は武蔵の流紋二輪を分析して
両刀の斬法を考察して行けば彼の
意図するものが推察できるのでは
なかろうか?   聖剣


「五法の勢法」

「喝咄

一刀のみで戦う時、武蔵の真骨頂は相手の眉間を一撃してこそ極技とした。
基本刀法も一刀流の「切り落とし」の如く真っ向から切り下げるが、その後止めの中段突きが連携している。
切り下げて突くか、突いてから切り下げに連続技法となる。

「五法の構え」

武蔵は「構えは五つより他は無し」としている。
二刀は上中下左右の五構えである。
構えは構える為に非ず、斬る為にあるとして、その中心を中段の構えとし、
自分を取り囲む 360度の円内に変化応用できる最大最小の構えを採用した。

 「切っ先返し」

二刀を使っての究極の技法が下段から
手首を返して切り上げ、
上段から真っ直ぐ切り落とす 。
動作としては単純にに見えるが
変化応用は多彩である。

「二刀を一刀として使う」

大小の太刀を攻防一致になる様に
リズムに合った操法である。

「有構無構」

「 構えあって構えなし」 の如く
融通無碍の心境で挑む。

「戦気」

敵に向かう時は、気迫で圧する気構えを
第一としている。

「顔面を攻める」

剣先は敵の顔面に付けることで出足を鈍らせる効果を出す。

「先手を取り、上下左右に攻める」

常に往復の太刀使いで、下から突き上げるか、
切り上げ又は上から切り下げたら切り上げる
合理的な二連攻撃  を重要視している。

「太刀の道に合わせる」

刀の重さも刃筋の確かさも考量した
無理の無い原理に基ずいた
太刀の振り方を習得する。

「虚実の見極め」

実戦の要はこの虚の使い方にある。
敵に意外性を持って当たり
常に心理戦に 先ず勝て

[直道」

剣は一撃必殺こそ真髄であり天地直通の気迫で切り下げること。初太刀に命運をを賭けた示現流のような不迷信念の剣。

「是極一刀」

二刀を使えない場合。
一刀の上手と立会い直ぐ二刀構えが取れない際は、 刀を脇構えに構えて2,3回右足踏み込み、
直ぐ退歩るフエイント攻めを行い
間合いを取り、相手が撃ちかかって来たら
太刀打ちに払い、その隙に脇差を抜き、
相手の太刀を払い受け、
入り身で敵の前腕を切り押さえて
太刀で仕留める術技法。

「巌の身」

いざという時心が動揺していては技は使えない。
常の心を鍛え不動心に徹する修錬なくして は
敵に勝てない。
先ず己に勝つことが先決である

「武蔵の剣法考察」

中段の構え(観実の構え)



二刀の太刀先を敵の顔面に付ける。敵が上段から真っ向斬りに来れば十字に上げ受けして 左右に落とし入身になり、体当たりや斬り付けが出来る。敵が邪魔な二刀を払い打ちに来れば、引き外して乗るか、二の越しに 真っ向を斬る。剣道スポーツチャンバラでの試合では、敵の出方を探る為に一歩退歩して観るのに使える構えである。

上段の構え(疑團の構え)



現行の上段構えは右手は右耳、左手は中段に伸ばす型だが、本来は上段十字風に前狭に 構えると見る。これなら敵が突きや胴を攻めても左小刀で払うと同時に敵の小手の斜め 斬りや面打ちに繋げ易い。相手より先に攻める際は左で抑えて右を使う方法や一挙に太刀打ち落とせば、敵が焦って面を取ろう とするのを十字に受け、素早く左胴や脚を横に切る。

下段の構え(水形の構え)



剣道では見ないがスポーツチャンバラでは 使える。無構えだから隙だらけに見えるのが付け目。敵には面や突きがし易く見える。待ち剣構えだから敵の出足を狙い、 「先の先」で突き、面、脚など効果的。自分としては左小刀を額前に構え、 右太刀を地擦り正眼に構える右半身に変形して使っている。これだと相手が脚攻めし難い。剣道では先ず無い構えだ。 脚打ち六分と言うほど多いスポーツチャンバラでは使える。剣道出身者は脚狙いに弱い傾向がある。 この自分流捨て構えは、左小刀を投げ付けると同時に右刀で切り上げ切り下げが使える。 左小刀は常に、頭上に備える心構えを忘れない様にする事だ。連続的に上段十字受け 、左右払いに切っ先返しの斬り下げに攻めまくるの練習すべし。

左脇構え(重気の構え)




右肩を敵に晒している為、右側面を攻められ易い。スポーツチャンバラの試合では 私の仲間が相手の太刀を張り上げて、 相手が下がるの追いかけての袈裟斬り落としに打つ勝つ動きを見た事がある 。まるで「型」そのものなのに感心したことがある。試合では「型」は中々使えないモノだが、 相手を型に近付ける様に持って行くのが肝要。型も使い方次第。 自分も3年目の公式試合でやっと使える様になった位だ。 「型」は無視せず自分のものに成るまで練習すべし。

*右脇構え(右直の構え)



太刀を右下に捨て構えが原本説明にあるが、右腰に突き構えにする形が現行の様。これだと攻めが限定される。 肩の力を抜いての捨て構えで多種の技が使えるが、 主に相手の攻める裏小手を狙う稽古をすべし。以上現代試合に応用できる二天一流技法は考えれば考える程、多様に 工夫できる要素がある。剣道風にスポーツチャンバラ風に又は護身術的見地から応用してみるのも武蔵剣法を知る 研究法だと思う。

「武蔵の対戦考察」

*対戦1:有馬喜兵衛 :
「武蔵十三歳での初戦は、武蔵の奇襲攻撃から始まったと見る。 得物は六尺棒(槍穂が外れた槍かも。。)いきなりの武蔵の攻撃に驚いた有馬は、第一攻撃を 危うく首を捻って避けたが左肩先に強か当たった。頭に来た有馬は(子供とて容赦はせぬ)と 刀を抜いた。彼の殺気に武蔵も身振るいしたが、却って闘志が湧いてきたのだ。 もう、滅茶苦茶に長棒を振り回す。剣術試合に馴れた有馬も計算できない無謀な攻撃に狼狽、やや 焦り気味に武蔵の棒を真っ二つに切り裂いた。見事に半分になった棒を見つめて唖然とする武蔵。 (覚えたか小僧)勝ち誇った有馬は余裕の表情で見下ろした。「ナニオッ」武蔵は半棒を有馬に投げつけるや 脱兎の如く有馬の下半身に組み付く。習い覚えた両足刈りの技を掛けた。不意打ちに他愛も無く後向きで 転倒した有馬は後頭部に強烈な打撃を蒙った。一瞬、もがく有馬に、地面に落ちていた半棒を拾い上げるや、 上段から気合諸共打ち下ろした。子供とは言え、力もある武蔵の棒は威力があった。二度三度と打ち下ろされて 有馬の頭から血が溢れてきた。遂には、動きを無くした敗残者を武蔵は吐く息荒く見下ろした。」(16.9.29記)

*対戦2: 秋山某 :
「十六歳にして但馬の国の秋山という強力の兵法者に打ち勝ち」と五輪書に記されて いる武芸者はどんな人物だったのか。あえて「強力」と強調しているからには、武蔵にとって可也一目置いた存在だったと見ていい。 体格も現代のプロレスラー張りに筋肉隆々、3人力位の力で試合相手を吹っ飛ばす勢いを目撃したかも。。強敵意識でいる相手に ある日、憎しみに近い挑戦される原因をつくったのだろう。あるいは恋敵で寺院の箱入り娘を取り合っての決闘の年齢とも考えられる。 秋山は武蔵よりは上背もあり、必然、上段構えで一打ちの木撃を狙っての殺気で迫るを、武蔵は正眼に木刀を構えての対戦となる。 秋山は武蔵の木刀を叩き折ってから面に行こうとする。武蔵をそれを読んでいたから木刀をすいと引いた。空を打つ秋山、。 その一瞬、武蔵の木刀を大きく円を描き秋山の眉間の間を強打した。鈍い音を聞きながら目を大きく開けて信じられない!。。 敗北感を消える意識の中で秋山は感じていた。(16.9.30記)

*対戦3: 吉岡一門 :
21歳になり京にあがった武蔵は名門吉岡清十郎、伝七郎、又七郎の3名を相手にする事になる。 清十郎の場合、小太刀の名手としての名があり、対戦なら太刀より小太刀で勝負をしていたと思える。 入り身の極意を心得ている清十郎のこと、待剣で武蔵の攻撃のタイミングを計っていた筈。 武蔵は手馴れた木刀を右脇構えにズイと間合いをつめた。武蔵の左肘が動いた。 普通なら肩越しに面か袈裟掛けに来る構えだ。清十郎は「得たり」と小太刀を前に伸ばし掛けた時、武蔵の木刀は意外や真下から 跳ね上がり清十郎の入り身を阻み、小太刀を擦るようにして頭上で翻るや、吸い込まれる様に彼の右肩に食い込んでいた。 肩骨の砕ける音。昏倒する清十郎。勝負は一太刀の約束であった。 当然、伝七郎は兄の恥辱を晴らさんと武蔵に挑戦した。兄の失敗は小太刀にあるとして伝七郎は四尺の木太刀を得物として相対した。 三十三間堂の庭。冬間の夜は冷える。武蔵は間合い一間に近ずくまで大胆にも両手を襟間に入れた儘である。隙だらけに見えるだけに 一瞬度肝を抜かれて手が出せない。見る間に間合いに入られ慌てて上段に振り被った時は遅く、撃ち込んだ木太刀は武蔵の十字に 組んだ両手刀の間に阻まれていた。「アッ」と言う間木太刀は逆手に捻り取られ、体が崩れる所に武蔵の脚が絡む。ドッツと倒れる伝七郎。 起き上がる暇も無く武蔵の必殺の一撃を頭部に受けていた。。。。十歳にも満たない又七郎は名目の大将とは言え倒さねば結着はつかない。 数十人の郎党を相手に戦うにはどうすれば良いのか。早目に決闘場で隠れて待つか、大声あげて切り込んで行くか。幸い時刻は夜明けで 見通しが利かぬし、雨模様に為りそうで合羽に笠を被った見張りもいる。その一人を声を上げさせずに倒すと合羽と笠で見張りに化けて 目的の一乗寺下がり松に到着する。「武蔵はまだか」と声を掛ける頭目の男に「只今参上」を叫ぶや腰の一刀を鞘走らせる。そして 「許せ」一声掛けて隣にいる又七郎の首を跳ねるしかあるまい。後は前もって頭に入れていた地形の逃げ道を切り抜けるのみだ。 武蔵はそう決心して闇の中から一人の見張りを選んだ。(16.10.1記)

*対戦4: 宝蔵院胤舜 :
宝蔵院流は道主胤栄が老齢の為、二代目胤舜が引き継いだ。武蔵と胤舜との試合記述は見当たらないが、一番弟子 奥蔵院道栄を小太刀で翻弄した武蔵に胤舜も慎重に構えて相対した。小太刀の弱点は守備範囲が狭くなるから、足元を狙われれば腰を下げねば ならない事だ。上段を突いていきなり足首を払えば大抵防げないものだ。武蔵はどうかな?と胤舜は探りの上下攻撃をしてみた。 武蔵は乗らずに飛び退がった。しからばと胤舜は天地霞の構えになった。石突きを回して武蔵の左顔面を打ち、受けられるや素早く 穂先を回して右顔面を狙うがこれも止められた。途端、胤舜の体が左回転、腰を低めた儘槍を左脇に挟んでの脚払いに出た。 (今で言う空手風スピンチョップ の変形になる) 武蔵の体は跳躍。槍を飛び越え降りた時は, 胤舜の手元に入り込み小太刀を胤舜の頭部に寸止めに付けていた。「む。参った」 胤舜は唸って敗北を認めた。
(16.10.3記)

*対戦5: 宍戸梅軒 :
伊賀の国で鎖鎌の名手宍戸梅軒と一戦を交える。飛び道具に等しい鎖鎌なる異種武器には 武蔵も手こずった。先ず間合いが一丈もある鎖が唸って、横縦斜め8の字に回転する勢いは凄まじい。中々に手元に入る事は至難の技である。 分胴が当たれば致命傷は免れない。 刀で打ち落とせば刃毀れか悪くすると折れてしまう。小刀を手裏剣打ちに投げつける手も考えたが、小石と違って視界に掴み易い恐れも あり、鎌柄で打ち落とす位の技量は、当然心得ている達人でもある梅軒だ。分胴の様な飛び物に対しては、幅のある木刀が打ち落とす面積が広いだけ有利とみて 武蔵は用意して来た樫造りの木刀を上段に構えた。分胴は一度打ち落とせば、引き寄せる時間と遠心力をつける為の回す僅かの隙があるのが付け目だ。 「オウリャー」梅軒は一声吠えて、分胴を武蔵の顔面目掛けて打ちかけて来た。武蔵は眼の前に来た分胴を叩いた。地面に落ちるのを見るや 一っ気に間合いを詰めて行く。退歩る梅軒は手早く手元に鎖を引き戻すや小さく一回転させ縦回しに武蔵の頭部に撃ちかける。危うく木刀で 払ったものの鎖が木刀に絡みつく。武蔵は引かれる木刀を逆らわず離すや、素早く両手で大小の柄を握った。こうゆう場面もあろうかと 大小の鯉口は最初から緩めてあった。「トッツ」武蔵の両刀が互い違いに鞘走った。左手の小刀は打ち込む梅軒の鎌柄を張り上げ、右刀 は見事に梅軒の右胴から横一文字に切り裂いていた。ドオツと倒れる梅軒。。。。
(16.10.3記)

*対戦6: 柳生流大瀬戸&辻風 :
名門柳生流を倒せば武蔵の名声は上がるのは必須。一介の浪人に天下の柳生但馬守が おいそれと相手になる筈もない。ならば、この門弟の挑戦に応じてみるのも無駄ではあるまいと武蔵は承諾した。 試合は逗留先の細川家の屋敷内で行われた。最初の相手は大瀬戸。お互いに木刀正眼。大瀬戸は打ち込む木刀叩き落とされてあえなく敗退。代わって 疾走する暴れ馬を取り押さえた位の力自慢の辻風が相対した。しかし気位が違う。見えない気迫の壁がグイグイと辻風を襲う。たじたじと 退歩ざるを得ない辻風。打ち込もうと焦るが呪縛にあった様に体が動かない。それでも何とか気を取り直し必死の打ち込みを武蔵は外し 、左の肩でドンと体当たりをした。一間も吹き飛んだ辻風は,運悪く庭先の手水鉢で頭を打ちつけ昏倒した。。。
(16.10.4記)

*対戦7: 無想権之助 :
九州筑紫大宰府の宝満山に立て篭もった夢想権之助は、懸命に棒杖の術を研鑽していた。 以前、明石に滞在していた剣豪武蔵に試合を申し込んで完敗した苦い思い出があったからだ。あの時、俺が面を打ち込んだ時、 俺の棒を武蔵は大小の木刀を十字に組んでガッシと挟み込んだ。と見る間に、その十字の二刀はすいと降りて俺の両腕を吊るし揚げていた。 俺の体は浮き上がり、どうにも動きが取れず冷や汗をながしているのを武蔵は余裕の笑みを頬に浮かべて(さて、夢想殿如何なされる) と言う。。見ている弟子達の前で(参りました)と言うしか無い俺の惨めさ。。。未だに口惜しい。どうしたらあの武蔵の二刀十字を打ち破るか。。 疲れた体で叢に横になり考えいている内、つい眠り込んでいた。武蔵がいる。あの時の様に二本の木刀で胸前八の字に構えている。 俺は、返し打ちに4尺2寸の棒杖を武蔵の面に打ち込んだ。案の定、武蔵は十字留めに俺の杖を挟む。次は俺の腕を押し上げようとする 筈。そうはさせじと俺は右手を素早く棒の中程に移し、逆突きに武蔵の水月を突く。。やった!と思った時より早く、武蔵は腰を引くや上段の十字 組を下段に変えていた。無念!必死の工夫の技が封じられる。俺は夢中で杖尻を地面に立て、右片手で上部を前へ突き倒していた。 杖頭は武蔵の額を打っていた。 (見事だ、夢想殿)一呼吸遅れて、左の小刀を俺の頭部に寸留めした武蔵が叫んだ。(おお、武蔵の技に勝ったか!)俺は嬉しさ の余り、声を揚げた。その自分の声で眼が醒めた。。。。
(16.10.4記)

*対戦8: 佐々木小次郎 :
慶長17年の四月、所は下関舟島に於いて小倉藩細川忠興の肝煎りで、 藩の指南役小次郎と家老長岡佐渡推薦の宮本武蔵との試合が行われた。一説には辰の時刻(午前八時)定時に二人は試合場にいたとの説も あるが、小説的には面白く無いので2時間以上も焦らすことになっている。小次郎は備前物の刃渡り90センチ余の別名(物干し竿)の 長刀、武蔵は手造りの樫の木刀長さ120センチ余の太めの得物である。何故二刀を使わなかったのか。武蔵の得意の二刀を対策に研究していたで あろう小次郎の裏を斯いての作戦か。自分の刀以上の相手との試合経験の無い小次郎の弱点を計算していたのかも知れない。 さて、二人の決戦場面。(武蔵、故意の遅参か、小ざかしいぞ)「小次郎、お主の負けだ。勝つ気なら鞘は捨てまい」 と怒らせる。もし、地面に投げ捨てずに砂地に突き立てていたら何と言ったろうか「小次郎、お主の墓の代わりか」とでも言ってたかも。 兎に角、怒りで平常心を攪乱して置くのが武蔵の得意の心理作戦である。怒れば剣が荒っぽくなるから隙が出やすい。 小次郎は問答無用とばかりに長刀を上段に振り被り、ジリッと間合いを詰めた。武蔵は右肩を引いての脇構え。小次郎は真っ向から 武蔵の面斬りに出た。一撃で頭部を狙わず顔を切り、怯む時には真下から電光石火の切り上げで股から下腹を切り裂く(虎切刀) 。 通称「燕返し」の秘剣である。一方、武蔵は右脇から大きく円を描いて面または肩先を狙う円明流秘技「虎振り」の大技に出た。「渇ッ!」 勝負は髪一重の差で武蔵の一撃が速勝った。もし、武蔵が左足と右足を入れ替えなかったら小次郎の切り上げの餌食になっていたろう。 わずかの見切りが武蔵の袴を切り裂いたに終わった。頭に衝撃を受けた小次郎の体は、ぐらりと揺らめく。それでも倒れず、 横なぎに長刀を払おうとした。 しかし、武蔵の「トオッ」と気合で繰り出した左片手突きが小次郎の胸板を粉砕した。小次郎は後ろに大きく転倒して、その儘、動かなくなった。 武蔵はどよめく検査役の長岡達に一礼して、待たせてある小舟の方に踵を返した。(16.10.5記)

「黒田藩と宮本武蔵」

福岡藩に新しく家臣となった柴任の弟子になったのが吉田太郎衛門実連である。 二天一流は柴任三左衛門が黒田藩家臣吉田太郎衛門実連に伝えた。 二人の話を立花専太夫が「武州玄信伝来」として纏めた。 実連は小兵だったが強力で武才があり、武蔵の再来と言われた位であった。 能筆能画の才もあり細工もした。柴任弟子数百人の内、二天一流を伝承したのは彼一人である。 吉田太郎衛門実連から二天一流を伝授されたのが立花峰均(五百石)である。 立花峰均は21歳の春、柴任に弟子入りして13年間修行し、元禄十六年五月二十八日付けで 伝承している。峰均から二天一流を伝授されたのは彼の二人の甥(勇勝 、種章)と桐山丹英である。 「黒田藩分限帳集成」には組外 古御譜代 百石 新免無二一真 播磨人とある。 中津時代に召抱えられた家臣が武蔵の父のようだ。忠之の頃、宮本武蔵を剣術指南に懇望したが三千石という破格の禄高に重臣から反対があり 実現できなかったとの話もある。